薪流会は別紙報告書のとおり、去る四月十一日に二泊三日の日程で仙台の多賀城市中央公民館で救援活動を実施しました。実施直前の七日の午後十一時三十二分にマグニチュード7.4の大規模余震が発生、避難所が混乱し、活動延期の申し出を受けましたが、先駆で会長以下三名は十日の午後九時に多治見市を出発。翌朝到着。活動の調整に奔走。本隊の十七名が多賀城市到着間際十一日午後五時十六分にもマグニチュード7.0の大規模余震が発生。この様に大規模余震続発の状況下でも何とか十二日に予定通り救援活動を実施することが出来ました。 この日 震災直後より六回支援のために陸前高田市に入っている浄土宗専修寺副住職で本会会員の岸野亮哉と雲龍寺の二名は、次回の救援活動の調査のため、約三時間北に位置する陸前高田市に行き、仮の行政本部(市役所は全壊)を訪ね、十二日現在の被災状況を確認。死亡者一、二三一人。行方不明者一、一八〇人。住宅倒壊三、六〇〇棟。避難者 約一六、五八〇人。 次に、同市の広田町にある臨済宗妙心寺派の慈恩寺ご住職 古山敬光師にお会いし、お見舞と避難者の状況をお聞きした時に、ご住職より『私の妹夫婦と長男の死亡が判明しました。檀家さんから親子とも津波に流されていたと聞いてはいましたが・・・』と知らされました。 陸前高田市は、市全体が瓦礫の山、幹線道路は瓦礫が除去され、車は通れますが、今も流された民家が海の中に取り残されたり、ひっくり返って屋根が下になった民家があったり、高みの立木の天辺に引っかかり宙吊り状態に成った自転車を目撃。衝撃を受けました。この場に立つと報道されている以上に悲惨な状態に慄然たる思いに成りました。津波を免れた高台の家々もライフラインは切断されたままです。大きな避難所では、支援の手が届いていましたが、小規模な村や集会所などに約十人〜五十人の単位で避難されている方々は見捨てられ、取り残された状況も多々ある様で、我々がそこに行くと『よく遠方から来てくれた。我々も見捨てられていないのだ。』と喜ばれました。今は、場所により避難者への支援に大きな格差が生まれている状況です。心労のせいか、避難所の中で、家や車は勿論、全てを失った避難者と運よく自宅が残った避難者の間で軋轢ができ、両者間に衝突が起きることも有ると聞きました。 次回の薪流会の救援活動方針としては、五月上旬の連休に三泊四日で、取り残されている避難者をきめ細かく回って、不足している食材、調理器具、燃料等の提供と今もって大変な不安とストレスを受け続けている被災者の苦しみを少しでも受け止める救援活動を実施することを決めました。 東海地域より車で約十二時間の遠方であり、現在も大規模な余震が続き、原発事故による放射能の不安もありますが、薪流会は、十分に安全を配慮し、今後も継続的に状況に応じ、適切な救援活動を展開して行きたく思います。 しかし救援活動には、別紙の活動報告書の通り、相応の活動資金がどうしても必要です。薪流会の活動資金が不足しつつある現在。皆様にはご無理を申し上げますが、本会の 被災者救援活動にご理解を賜り、活動資金のご支援を頂きたく何卒よろしくお願い 申し上げます。
平成二十三年四月十八日 諸大徳各位 薪流会 役員一同
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